平成16年2月(2004−2)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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 上京以来、皇族への面会を手をつくして求めていましたが、一月の二十二日になって、有栖川宮幟仁親王から突然、
「参殿せよ」
 との使いが来ました。
 先日、経彦は宮内省書記官の足立正声の手を経て『神理図』三巻を天覧に供していたのです。幸運にも『神理図』は、神道副総裁の岩下方平を経て、有栖川宮殿下に献上されたのでした。
 有栖川宮は神道総裁です。経彦がこおどりして喜んだのは言うまでもないでしょう。
 使いの来た翌日、経彦は有栖川宮を訪ねて拝謁しました。神理教の教義――『神理図』について殿下より下問があり、経彦がそれにいちいちお答えしたうえで、いまや神道にとって正念場であることを、あますことなく堂々と述べました。
 有栖川宮は大きくうなずくと、
「卿は、今より大教主たれ」
 と大きく明るく響く力強い言葉で令旨を授け、後日、改めて
 ――『神理無敵』の書を下賜されたのです。
 これを契機として、経彦は皇室との関わりを深めていきます。経彦の説く外教の脅威、神道の弱体化に対する皇室の機敏な反応は、さすがと言えるでしょう。
 経彦の日記に基づき、一連の皇室との関わりを整理しておくと次のようになります。年代は少し飛びますが、経彦が皇室の理解を得て活躍していく様子がよくわかります。
一、十五年一月三十一日、太政大臣・三条実美公に拝謁、教書を献上。問答を重ね、公より『信心為本』との親筆を授かる。
一、同年二月一日、右大臣・岩倉具視公に謁見、教書を奉呈する。
一、同年二月二日、有栖川宮より御令旨と菓子を賜る。
一、同年二月十七日、有栖川宮から、『神理無敵』のご親筆を賜る。
一、同年十一月十四日、太政大臣ならびに右大臣に『国威拡張参考書』を奉呈。
一、明けて十六年八月、大講義に昇級。五段階もの”飛び進級“は異例であり、たいへんな名誉であった。
一、さらに十七年三月、有栖川宮に招かれ、御殿に奉られていた皇大神のご神鏡を、特別のはからいで、御令旨とともに賜る。
一、同年十月四日、再び有栖川大将宮殿下に拝謁、教書を献上し、殿下より『神威赫々神理之門。妖教悪魔降伏之處』というご親筆を拝受する。
 同日、有栖川大将宮邸に招かれ、宮様の前で歌を詠み、殿下から古代のご神鏡を賜る。
一、同年同月二十六日、有栖川宮に招かれ、殿下より御手蒔の小松ひと株に、松の歌の短冊、扇子、錦の神入れを下賜される。
 なお前記以外に、北白川宮能久親王殿下より『至誠感神』の親筆、伊藤博文公より『赫々神理教』、山縣有朋公より『宇内最上神理教塲』の各真筆のほか、山岡鉄舟、杉孫七郎、東久世通喜卿などより真筆を送られています。
 こうして、経彦は必要に応じて東京と徳力とを精力的に往復し、己の信念にしたがって古神道の再興に命を賭けるのでした。
 明治十七年、神理教会が神道直轄となったこの年の九月二十一日早朝。――「ニコライ問答」として歴史に刻まれた、神道とキリスト教との論戦が、東京・お茶の水の駿河台にあるロシア正教においてたたかわされるのです。
 経彦が真っ向から挑んだ論戦であり、血を流さない戦争でした。
 いえ、命より大切な「人間の魂」を賭けた戦争でした。
 ロシア正教・ニコライ大教主

 明治十七年九月二十一日の昼、経彦は東京駿河台のロシア公使館付属の地に建つニコライ聖堂を訪ねました。
 日曜日とあって、ミサでも終わったのか、聖堂の門からゾロゾロと人が出て来ました。少年が半数と、あとは四十代を頭に十一、二歳くらいまでの女性です。
 経彦はすれ違いながら、
(日本人の顔をした異人である)
 と、表情を険しくしました。
 実際、彼らの顔つきが変わっているように見え、敵地に乗り込む緊張感はいやでも高まるのでした。
 経彦は、受付の前で深呼吸してから、
「佐野経彦と申す。ニコライ氏と約束をしています。取り次いでいただきたい」
 と、腹に力をこめて訪ねて来た理由を告げました。
「どうぞ、こちらへ。いま主教が出て参りますので」
 と日本人男性が、経彦を部屋の前に案内しました。
 二、三分ほど待ったでしょうか、内側から掛け金をはずす音がしました。
 ドアの向こうに、鋭い目をした男が立っています。
 背が異様に高く、経彦は彼の胸までしかありません。
 奥歯を噛みしめ、経彦は胸をそらせて仰ぎ見ました。
「お待ちしてました。ワタシがニコライです。」
 流暢な日本語で言って、
「さあ、どうぞ、お入りください」
 と微笑みました。
 こうして、命を賭けた論戦は静かに幕を開けたのです。
 ロシア正教・ニコライ大主教は、一八三六年生まれというから、経彦より二つ年下の四十八歳。宗教家として脂の乗り切った年齢です。
 ペテルブルクの神学大学を卒業して修道士となり、一八六一年、布教のため函館に到着しています。約七年、日本史、仏儒の勉強に没頭し、日本および日本人を徹底研究しながら、じっと耐えました。当時、キリシタンはご禁制だったからです。
 チャンスは、明治維新でした。
 奇しくも経彦が、南の九州で、
「活躍の時、来たれり」
 と小躍りしていたその同じ時期、北の北海道では、ニコライ神父が、
「チャンス到来なり」
 と胸を高鳴らせていたのです。
 神仏分離令により、それまで幕府と結びついて権勢を誇っていた仏教が衰退し、神道が国家の宗祀となりました。
 しかし、神道は無力でした。時代が読めなかったのです。
 宗祀という地位にあぐらをかき、利己の権益をはかり、祭神論争など主導権争いにうつつを抜かしています。
 この状況をニコライ神父は見逃しませんでした。布教の好機と見たのです。
 明治五年(一八七二年)、キリスト教解禁によって、首都東京に進出したニコライ神父は、駿河台のロシア公使館付属の地に聖堂を設け、精力的に努め始めたのでした。
 まさに、経彦の危惧は当たっていたことになります。
 経彦がニコライ神父に論戦を挑む明治十七年当時の教勢は、教会九十六ヶ所、講義所二百六十三ヶ所、信者六千余人。維新によってキリスト教が解禁になり、東京に聖堂を構えるまでわずか十年であることを思えば、ニコライ神父もまた経彦同様、希代の宗教家であったといえるでしょう。なおロシア正教会とは、十世紀、ロシアに伝わって彼の地で育まれたキリスト教のことです。
 希代の宗教家二人は、テーブルをはさんで腰をおろしました。

 神とはなんぞや!

「備前の人ですか」
 と、ニコライ神父が微笑みをたたえたままで口火を切りました。
「いえ、私は豊前小倉の人間です。ここから二百五十里ほどありましょうか、長門国下関の向かいです」
 経彦が答えると、うなずきながら、
「さて」
 と、ニコライ神父は本題に入っていきました。
「佐野サン、アナタは何をしてらっしゃいますか? 神官ですか?」
「いや、教導職です。神道――すなわち神の道はいまに始まったことではなく、神代から我が国に伝わる神の道なのです」
「神の道? それはナニを言うのですか? またナニをもって教えとするのデスか」
 鋭く訊きました。
「我が皇国は――」
 経彦は胸をそらせて言います。
「我が皇国は言霊の幸う国で、記紀(『古事記』『日本書紀』)があり、その冒頭に天地の始まりや、人の始まりが詳しく記されています。
 しかし、ここでお断わりしておくと、それを説く私たちの〈神の言葉〉は、――もともと神代の文字があったのですが――後の時代に漢字が入ってくると、当時の学者はこれを重用して神代の文字を漢字に変えさせてしまった。ために、後世にこれを読むものはいるけれど、〈神の言葉〉がなんであるかを知らなくなってしまったのです。その言葉を、いまの五十音にあてはめて私が解釈すると、霊魂は、天地が成立したときに神が人に与えたもので、神は、その人生や魂の行き着くところはおろか、その人の正しい行いや邪な行い、さらにその子孫の栄枯まで知っているということになるのです」
 ニコライ神父は、相変わらず微笑みをたたえながら、
「ということは、佐野サン、アナタはすべての始まりは自然にできたとおっしゃるのデスか?」
「大本に遡れば、そう言わざるをえないでしょう」
 ニコライ神父の罠でした。
 彼は目を剥いて、
「ならばアナタは、自然にできた服を見たことがアリマスカ? 自然にできた家を見たことがアリマスカ? そんなことがあるわけがないのデス。人が柱を立て、壁を塗るから家ができる。人が機械を使うから服ができる。自然ということはありえないのデス。我々の聖書の『創世記』をごらんなさい。そのことが、きっとよくわかるはずデス」
 ニコライ神父は勝ち誇ったように胸をそらせました。
「なんと……」
 経彦は笑いました。
 苦笑です。
「なにがおかしいんです」
 ニコライ神父が気色ばみました。
「いやいや大教主、あなたはモノを製造することを問われたのでしたか。私はまた天がつくった〈大本〉のことを問われたのかと思いました。勘違いしたようです」
 と、軽くいなしてから、
「ならば大教主、〈自然〉とはどういうことだと思っておられるのですか? 私の言う〈自然〉とは、すなわち神の元素のことです。万物の初めに神があって、気があって、万物が生まれる。神の力は〈気〉であり、気は〈息〉のことであり、その気が天地に満ちていることを〈神〉というのです」
「アナタはいま、自然にものができたと言ったではありませんか!」
 ニコライ神父が怒りをあらわにして叫びました。
 経彦はかまわず、
「それでは問うが、あなたの国のゼウスとかいう神は、なにからできたものですか? 私はその神の成り立ちは知りませんが、我が国の神は、初めもなければ、終わりもない。名前も、行為もないのです。つまり自然であり、万物の始まりなのです。大教主、あなたの国では万物の始まりにはどんなものがあったのですか? どんな形をしていたのですか?」
「……」
 ニコライ神父は答えられず、黙りました。
 経彦は、助け船を出すように、
「神が生まれた原因を知らないから、私はこれを〈自然〉と呼んだのです」
「神が……」
 ニコライがうめくように、
「神がモノをつくったとおっしゃるのデスカ?」
「そうです」
「ウソだ! 『日本書紀』にそんな記述がないことをワタシは知っている!」
 ニコライ神父は反撃に転じました。
 しかし、経彦は動じる様子もなく、「お国のことはわかりませんが、これから日本で本をお読みになるときは、書名をよく見てからにしてください。いまあなたがおっしゃった『日本書紀』は、代々の天皇の履歴のみを記したもので、上古の伝説はすべて注解となっているはず。太古、古伝の世界に関することは『古事記』の世界なのです」
 と諭すように言いました。
 しかし、ニコライ神父もまた碩学です。
 ロシア正教会が伝道のため、日本に放った尖兵です。
「ご忠告、感謝シマス」
 と、皮肉っぽい笑いを浮かべて、
「『古事記』に天地の起源は書いていない。天地を創った神も書いていない。『古事記』に神はないのデス!あなたのほうこそ『古事記』をよくお読みなさい」
 と胸をそびやかして言い放ちました。

 「佐野、ワタシの門下に入りなさい!」

 経彦は内心、舌を巻いていました。
 ニコライ神父は、思ったよりはるかに頭が切れます。
(心せねば)
 と自分に言い聞かせながら、しかし外見は平然と、
「こう言っては失礼だが、私は大日本帝国の教導職であり、神理教会の大教主です。日本の国典を読み誤ることはありません。あなたがいくら碩学といえども、他国の書物ゆえ、よみ誤ることがあっても、それは仕方のないことです」
 日本の国典を土俵にして論じることは、経彦に圧倒的に有利なはずでした。一級の論客であるニコライ神父がそれを知らないわけがありません。知ってなお、そこに踏みとどまっているのは自信のあらわれでしょうか。
 ニコライ神父はニヤリと笑いました。
「佐野サン、『古事記』では、天地が始まったときに、高天原というところに天之御中主神がいたとアリマス」
「それがどうかしましたか?」
「つまり、天地より先に神があったとは、一言も言っていないのデス。神より先に高天原があり、そこに住んだのが天之御中主神ということになりマス。高天原が、私の国ではゴッドです。天之御中主神がゴッドの創った高天原に来て住んだということは、われわれの神サマより遅く誕生したということになりませんか?」
 鋭い指摘に、経彦は緊張しました。
(あわてるな!)
 自分に言い聞かせて、ニコライ神父の出方を待ちました。
 ニコライ神父は勝利を確信したような穏やかな口調で、
「日本人は愚かです。『古事記』や『日本書紀』は、たしかにあなたがたにとって大切な天皇の伝記です。これがなければ古伝は何もなくなってしまいます。だから、後の世になって揃えたものです。
 天子様にとって大切な本であることはわかりますが、佐野サン、そんなもの放って、聖書をご覧なさい。
『創世記』には、神が初めてモノをつくったとアリマス。これが世界の初めデス。他に神はない。これが真の神サマなのデス」
 ひと息ついで、
「信じなさい。アナタが神サマの道を信じれば、日本もたちまち神の道となりマス。神サマは愛されます、神様はあなたを守りマス」
 と、幾度も幾度も呪文のように繰り返しながら、ニコライ神父は話を進めるのでした。 さすが異国にあって、十年のうちに六千人も入信させただけのことはある、と経彦は感心しながらも、ニコライ神父が『古事記』における日本語の意味を間違って解釈していることを見抜いていました。
 それは「生る」と「成る」の違いでした。すなわち天之御中主神は高天原に「生まれた(生る)」のではなく、そこに「成られた」という意味なのです。「成る」とは、貴人などがある場所へ行くことを言います。
「ニコライ神父、あなたは日本語をよく勉強されてはいるが、まだ本当の意味を汲み取ってはいらっしゃらない。『成りませる』というのは、最初に神の御意志があり、それが宇宙・自然となり、生物、人間という形になったという意味なのです。だから『古事記』の最初の神、天之御中主神は、以前からあった神の国に生まれたのではなく、神の国そのものという考え方ができるのです。『お成りになる』というのは、そこにできたのではなく、そこに来られたという意味なのです。したがって、キリスト教の『創世記』より以前から天之御中主神はおられるということになります」
「いや、神理教はキリスト教の教えを真似たものだ!」
「大教主」
 経彦は諭すように、
「あなたはいままで本当の神道を知る学者に出会っていないのです。だから、こうした神道の理論を知ることができなかったのです」
 ニコライ神父は沈黙しました。
 そして、ふたたび口を開いたときは、それまでとは打ってかわった穏やかな声で、
「佐野サン、アナタは有能で素晴らしい宗教家デス。だから早く聖書を読んで、世の中の人のためにその道を広めるべきデス」
 と語りかけ、手をあわせながら天井を仰いで、
「神よ……日本の佐野経彦を助けたマエ」
 と、つぶやきました。
 ニコライ神父は微笑みました。
「いま、ワタシは神サマに祈りました。早くこの道に入りなさい」
 と言いました。
 経彦は背筋をピンと伸ばしました。
「私が天神造化の道を捨てて、あなたの国の宗教を信じることはあり得ません。断じてキリスト教の門下に入りません」
 と敢然と答えたのでした。
 経彦が、ふと柱の時計を見やると、すでに四時を回っていました。
 面会の約束は、十二時から三十分間です。
 長居どころの騒ぎではありません。
 経彦は狼狽して、即座に話を打ち切り、
「お忙しいところを、失礼しました」
 と、あわただしく腰を浮かしました。
 そのときです。
「待ってください!」
 ニコライ神父が手で制して、
「ワタシは十八歳のときから日本にいて、日本の諸宗派を知りマシタ。しかし、仏教に人物はおらず、神道に道はナイ。日本人は愚かデス。アナタ一人だけがよく説き、道をつくった人デス。日本人のために、ワタシの宗派に入りなさい。アナタがこの宗門に入れば、それが日本の神道になりマス。日本人に愚かな人間はいなくなりマス」
 最後のチャンスとばかり、ニコライ神父は経彦に熱いまなざしを注いで、入信を勧めました。