平成15年9月(2003−9)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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 『杉商』の主である花田四郎左衛門は、神理教の信者ではありませんでしたが、やはり神道の門人でした。気骨のある男で、ことのいきさつを知った花田は経彦を訪ね、源造の脅かしに屈した番頭のふがいなさを詫びてから、
「かくなるうえは、私が責任を持って木材を用意させていてだきます。それから異存がなければ、大工職人も、選りすぐりを手伝わせましょう。二度と邪魔が入らないよう、教場の周りを幕で囲い、夜ごとの工事がいいかと存じます」
と、丁重に申し出てくれたのでした。
 それで無事、開筵式の運びとなったのです。
「チクショウ!」
「兄貴!」
「ウオ〜」
 源造は獣のような唸り声を発し、為吉と二人して、こぶしのような石ころや瓦の破片を拾いあげると、
「神理教なんかクソくらえ!」
「インチキ宗教め!」
 と口々にさけびながら、会場に投げつけ始めたのです。
 会場は騒然となりました。今度で二度目です。
 神理教にも屈強な男たちは何人もいます。
「この与太者どもが」
「許さん!」
 と腕まくりして立ち上がるのを、経彦は、
「やめなさい」
 と、制しました。
「どうしてですか?どうして、こんな理不尽なことがまかり通るのです?」
「とにかく、やめなさい」
 と、穏やかに言ってから、経彦は高座にのぼりました。
 満面に笑みをたたえています。
 これには源造も面食らったようで、
「どうなっちまってんだ」
 と、石を投げる手を休めていました。
 経彦は、信者たちに向かって、
「今日ほど私はうれしく、また楽しいことはありません」
 と第一声を放って、言葉の意味が浸透するように間をおきました。
 意外な言葉に、信者たちも源造も、経彦をじっと見つめて次の言葉を待っています。
「石や瓦を投げつけた人は、さらに幸福です。なぜなら、彼らの投げた石や瓦こそ、彼らがいつしか堅き信者となるために奉った賽物だからです。」
 すなわち、源造の投げた石や瓦は、神に捧げる供え物である、と言うのです。
 その意味は――これは文語調で記したほうが、経彦の思いがより伝わるでしょう。
「余は善人を喜ぶといえども、決して悪人も捨てぬ。
 余の教えは、悪人を助くるの道なり。
 幸の人来たれ、災いを逃れしめむ。
 不幸の人は大いに来たれ、やがて笑わしめむ。
 迷える者来たれ、天地に誓って見捨てる事なし……」
 余の教えは悪人を助くる――この強烈な自信と救済の使命感が、経彦の笑顔の裏に秘められていたのでした。
 開筵式の最後にあたって、信者たちは神理教の「教誡十ヶ条」を唱和しました。
 一、神の心にそむくことなかれ
 一、祖恩をわするゝことなかれ
 一、政令にそむくことなかれ
 一、禍を避け病のいゆる厚き神徳 をわするゝことなかれ
 一、世は大なる一家なる事をわす るゝことなかれ
 一、己の身の分限をわするゝこと なかれ
 一、人は怒るとも己は怒ることな かれ
 一、家業を怠ることなかれ
 一、教の咎人となることなかれ
 一、外の教を信ずることなかれ
 源造は、いつの間にか信者の後を口移しで唱和している自分に気づいて、うろたえるのでした。
 源造が神理教に入信するのは、それからまもなくのことです。

 神理図

 神理教のなかでもっとも基本的な教書とされるのが、『神理図』です。十六枚からなるもので、これについて国学院大学日本文化研究所・井上順孝教授は、著書『教派神道の形成』のなかで、
〈神理図は経彦の神概念の骨子を示すが、その内容はさほど複雑なものではない。国学的な記紀理解と皇国思想がベースであり、その他五行説や易経の影響もうかがえる〉
と評しています。
 また、これとは別に『神理図解』という書もありますが、これは『神理図』を文字でより詳しく解説したものです。
 経彦は、新たに入信した源造の前に十六枚の『神理図』を広げ、内容から三つのグループに分けて説明を始めました。
「――源造」
「へい」
 素直なものです。
「この最初の四枚までを第一群として、天地開闢と神々の生成をあらわすものだ」
「ほう、これが、ですか」
 と、不思議そうに図に見入ります。
「うむ。それから五枚目と六枚目が第二群で、皇国の皇国たる由縁をあらわす」
「ユエン、ですか?」
「そうだ。ユエンは〈由縁〉と書いて、ゆかり、いわれのことを言う。つまり、なぜ日本は皇国であるのか、ということを、ここでは説明してある」
「へえ」
「そして七枚目から十六枚目までが第三群で、先祖と子孫との関係において、善因善果、悪因悪果の理を説明した部分となっている」
 と前置きして、経彦は説き始めました。