平成15年8月(2003−8)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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「おい、なにをするんだ、これは私たちの材木だぞ!」
 信者たちが口々に叫び、荷馬車の前に立ちはだかりました。
 経彦が信者たちを割って、源造の前に進み出ました。
「私は会長の……」
「佐野経彦だろう、知ってるよ」
 源造は、せせら笑うと、懐から一枚の薄紙を取り出して、
「これを見な」
 と、経彦の鼻先でひらひらさせました。
 薄紙には筆で〈受取り〉と書かれ、『杉商』の名が記してありました。
「つまりだな」
 と源造が言いました。
「ここにある材料は、全部、ウチが買いつけたってことよ」
「しかし、これは私たちが、すでに『杉商』さんから買い求めたものです」
 経彦は怒りをおさえて冷静に言いました。
「会長さんョ、買ったって言うけど、払ってんのは半金だけだろう」
「それはそうだが……」
「文句があるなら『杉商』へ言いな。ウチはもう銭を払ってんだから。――おう、どきな」
 と、経彦を押しのけました。
「この野郎、教長さまに何しゃあがる!」
 屈強な信者の一人が気色ばむ(怒りが顔に出る様子)のを、経彦は、
「待ちなさい、『杉商』さんと話をしてからだ」
 と、押しとどめました。
 そこへ荷馬車に材木を積み終わった舎弟の為吉が戻ってきて、
「兄貴、材木は半分よりも少ないですぜ」
 と、口をとがらせました。
「そうかい。じゃ、そこいらの柱を切っちまいな」
 こともなげに言ったセリフですが、与太者たちは喚声をあげ、鋸と斧を使って柱を切り始めたのです。
 悲鳴があがりました。
 鋸を引く音に、耳を押さえてうずくまる女性信者がいます。
 斧を振るう与太者に飛びかかって、逆にブン殴られた男性信者がいます。
 叫び声、泣き声、怒声が交錯します。


「やめなさい、みんな手を引きなさい!」
 経彦が声を張り上げました。
 このままでは流血の惨事になってしまいます。
 理由のいかんを問わず、暴力沙汰は、宗教に携わる者のとるべき道ではありませんでした。
「やめなさい、祖神さまは見てらっしゃるぞよ!」
 経彦のこの一言で、信者たちはおとなしくなりました。
 源造は目を丸くしました。
 ヤクザの親分子分の関係など、およびもつかない統率ぶりに感心しながら、
「ま、悪く思わんでくれよな。俺も商売だから」
 と言って引き上げて行ったのです。
 無惨に荒れた仮教場に、いつまでも信者たちのすすり泣きの声が響きました。

 開筵式の妨害

 仮教場に殴りこんでから三日間、源造たちは『玄海荘』に居続けて呑んでいました。
 主人の岡部鶴八としては、早く追い返したかったのですが、
「一条寺の檀家総代が与太者を使って悪さしたとあっちゃ、世間の聞こえはよかねえだろうな。――ええっ、そうだろう」
 と、すごまれては返す言葉がありませんでした。
 恰幅のいい割には、岡部は評判を気にやむ小心者でした。
 それからさらに一週間、源造たちは芸者をあげ、ドンチャン騒ぎをしながら、
「これもそれも神理教のおかげでござんす」
 と酔っておどけて、パン、パン、パン、パンと拍手を打つのでした。
 しかしその一方で、教長が、
「祖神さまは見ていらっしゃるぞよ!」
 と凛と響く声で叫んだ一言が、源造の耳について離れませんでした。
「祖神さまか……。チェッ、ばかばかしい」
 経彦の声を追い払おうとするかのように、源造は何度も首を振るのでした。
 そして、一週間が過ぎ、十日目の朝を迎えたときのことです。
「源造さん!」 
 岡部が険しい顔で部屋に飛び込んできました。
「あんた、神理教の仮教場、今日が開筵式だって言うじゃないか!」
「なんだと!」
 源造が跳ね起きました。開筵とは仮教場完成の披露のことです。
「源造さん、仮教場は二度とできないと大ミエ切ったのは、どこのどなたでしたかね。だいたい十日もウチに居続けて……」
 最後まで聞かず、源造は『玄海荘』を飛び出していました。
 為吉をしたがえ、徳力へ人力車を走らせながら、
(そんなバカな、あれからまだ十日だぜ。開筵なんてことがあるのか?)
 と自問し、
「そんなバカな!」
 と、声に出して吐き捨てるのでした。
 ところが仮教場についた源造は、呆然と立ち尽くします。紅白の幔幕、詰めかける多数の信者、そして粛然たる祝詞の声……。仮教場は立派に完成していたのです。信者にまじって『杉商』の主がいることに源造は気がつきませんでした。