平成15年11月(2003−11)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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開教・独立までの軌跡



 こうして見ると、明治維新は期せずして、神道とキリスト教の復活を促したことになります。
 しかし、前に述べたように、神道が八百万の神という多神教であるのに対して、キリスト教の神に対する考え方は、
「神の子イエスにおいて啓示された唯一の神」
 という一神教です。
 ここが根本的に異なる点です。
 あえて繰り返しますが、神道では、
「天皇の祖神は天照大神である」
 として、天皇の君臨統治に理論的裏付けを与えているわけですが、一神教にして神道と神の概念を異にするキリスト教では、神の子であるとする天皇の出自は否定されてしまうことになります。
 ですから神道にとってキリスト教は、天皇制という国体を根底からくつがえす危険な宗教ということになります。不倶戴天(憎しみの深く激しいこと)の敵なのである。
 それにもかかわらず、文明開化に浮かれ、欧米にあこがれ、欧米のすべてを「善」として受け入れる軽はずみな風潮にあって、キリスト教は、それが舶来であるという理由だけで、人々は関心を寄せました。
 要するに、ハイカラに見えたのです。
 しかし、ハイカラに見えるキリスト教の正体は、国体を根本から否定する邪教なのです。その邪教に、なぜ日本人が無節操に入信するのか――。
 そこに経彦の歯がみがありました。  

 上京を決意

 明治維新によって、よくも悪くも近代国家形成の第一歩を踏み出した日本は、板垣退助の民選議員設立建白以来、高まる自由民権運動のうねりのなかで新たな局面を迎えつつありました。
 明治十三年四月、片岡健吉、河野広中ら全国有志を代表して国会開設を請願。翌年十月「国会開設の詔」が下ります。こうした明治前期を総括するなら、「自由民権運動との対立、妥協の過程を経て、天皇制国家体制を確立していく時代であった」――といえるでしょうか。
 要するに乱世です。
 ただし、武力による陣取り合戦ではありません。
 文明開化によって、これまでの価値観がすべてご破算になったいま、政治、経済、文化、流行、遊び、道徳、宗教……と、あらゆるステージにおいて始まった新たな価値観の創造競争――そういう意味で乱世だったのです。
「肉を食べざるは罪悪である」
 といったことさえ新聞紙上で大まじめに論議されるのです。
 これを「乱世」と呼ばずして、なんと言ったらいいでしょう。
 宗教はいま、この乱世のまっただ中にいます。千数百年という悠久の歳月を経て、国家の宗祀となった神道は、なんの準備もないまま、いきなり表舞台に立たされて戸惑っています。キリスト教は二百五十年の間、活躍の機会をじっと待ち続け、息を吹き返しました。仏教は廃物毀釈の”法難“を脱し、復権を油断なく狙っています。宗教各派は、人々が自由を叫び、ダンスを踊り、肉を食べ、賑やかに西洋文化を受け入れ楽しむ心を冷静に分析しながら、自派の勢力拡大をはかりつつありました。
 乱世にあって事を成すには、国家の中枢に入り込むことです。
 その権威を味方につけることです。
 乱世は、実力に権威が備わって、初めて制することができるのです。
 経彦は考えました。
(広く天下に警鐘を鳴らし、古神道を再興するには、東京にのぼって宗教家と意見をたたかわせ、皇族の理解を求める必要がある)
 天皇制国家において、皇族は絶対的存在でした。
 明治十四年十月二十三日、経彦は、設立されて間もない神理教会の事務を長男の伊豆彦と次男の高嶺に託し、門人の古川鎮弥を供に連れて上京します。
 四十七歳。
 仮教場が完成して半年後のことでした。

 

 死後の世界をめぐって論戦

 船旅でした。
 小倉から神戸に上陸、京都に寄ってから東京――という予定を立てていました。
 お供の古川鎮弥は、明治十一年、妻の集義子と同時期に入信した男です。三十過ぎの、正義感の強い血気盛んな人物で、仮教場建設の一件では、斧を振るって柱を切り始めた与太者に飛びかかり、ブン殴られた男が彼でした。小柄で痩せていましたが、神理教に捧げる熱意はだれにも負けなかったでしょう。経彦の信任厚く、性格明朗で辛抱強く、気がよく回ることから、お供にもってこいの人物でした。
 寄港しながら行くので、神戸までまる二日の行程です。ふだんは尻に火のついたような多忙な生活を送っているのですから、たまにはのんびり船旅を楽しめばいいものを、経彦はじっとしていられません。
 時間がもったいないのです。
 船倉の大部屋で、少し離れたところに腕枕で横になる坊さんを見つけると、経彦は早速そばに寄って行って、
「それがし、小倉は徳力の神道家で、佐野経彦と申します」 
 と声をかけました。
 坊さんは五十がらみか、でっぷりと太っていて、なかなかの貫禄です。
 腕枕のまま、ジロリと経彦を見上げて、
「それで?」
 と横柄な口をききました。
「宗教諸事について、教えを乞えればと思い、声をかけさせていただいたのですが」
 と、経彦は頭を下げました。
 教えを乞う――と持ち上げたことで気をよくしてか、坊さんは、
「忙しい身だが、ちょっとくらいならいいだろう」
 と言って、起き上がるなり、大きなあくびをして眼に涙をためながら、
「で、どちらの神道かな?」
 と、聞きました。
「神理教と申します」
「聞かんな」
「饒速日命七十七代の――」  
 とは言いませんでした。
「まだ興して、数年でございます」
 と、へりくだりました。
 退屈しのぎ、周囲の人たちが聞き耳を立てています。
「シンリキョウ……とな。最近はわけのわからぬ宗教が出てきて困ったもの……、いや、お主のことを言っているのではないから、気を悪くせんでくれ」
 ワッハッハと、周囲を意識して大仰に笑ってみせて、
「わしは、京都の――」
 と、浄土宗のさる有名な寺を名乗り、
「こうして異教の、しかも名もない宗教家と話をするのは異例のことじゃて」
 と、もったいをつけて言いました。
 お供の古川鎮弥が、怒りに身体を震わせています。
「これは痛みいります。それでは早速ですが、〈生〉と〈死〉について、お考えをお聞きしたいのですが」
「永遠のテーマ、というやつじゃな。仏教では、この世を〈苦の世界〉としてとらえておる」
「はい」
「だから赤ん坊は泣きながら生まれて出てくる……というのは冗談、ガッハッハ」
 周囲からドット笑いが起こりました。
 いつのまにか、二人を囲むように人垣ができていました。
「〈苦の世界〉とは厳しいですね」
「ああ、そうじゃ。だから真の幸福は、死後の世界しかないのだ。そして――」
 言葉を切り、周囲の ”観客“をぐるりと見回してから、
「我が仏門に入り、南無阿弥陀仏――これは阿弥陀仏を信心いたしますという意味じゃが、これを繰り返し唱えることで、死後の世界の幸福は約束されるのだ」
 どうだ、と言わんばかりに見得を切りました。
「和尚、死後の世界とはなんですか」
 経彦は核心に入った。
「そんなものは、お主、極楽と地獄に決まっておる」
「ならば〈死〉とは?」
「肉体が滅びることではないか。そんなこともわからないで、いったいお主の宗教はなんだ?」
 とあからさまに軽蔑の言葉を投げかけました。
 周囲がざわめき、嘲笑がおこりました。
「人間が死ぬということは――」
 ざわめきを制するように、経彦が大声を出して、
「人間が死ぬということは、単に肉体が消滅することではありません」
「なんだと!ならば、〈死〉を説明してみろ」
 と、坊さんは怒って顔色を変えました。
 経彦は落着き払って、
「肉体が活動する〈生〉の世界を『顕』と言うのに対し、肉体の活動が止まってしまった死後の世界を『幽』と申します。すなわち、『顕』とは、現われていて目に見える世界であり、『幽』とは、隠れていて眼に見えない世界であるということです。」
 いったい話がどこへ行くのか、坊さんも周囲の人も経彦に聞き入っていました。
「いま『顕』と『幽』を〈生〉と〈死〉で分けましたが、見える、見えない、ということでいけば、『顕』と『幽』は、必ずしも生死の別でなくてもよいことになります」
「わかりにくいな」
 と、坊さんがつぶやきます。
「ならば、こう言ったらどうでしょう。例えば、肉体という眼に見えるものを『顕』、精神という眼に見えないものを『幽』とすれば、生きていてなおかつ『顕』『幽』の両方を持つことになりませんか?これが、私たち人間の実相なのです」
 なるほど、と合点の声が人々から起こります。
「したがって、『顕』である日々の生活のなかに、『幽』という眼に見えない力の働きを感じない人は、生きることに努力しない人であります」
「チッ、それが〈死〉の説明とどう関係するんだ」 
 坊さんが水を差します。
「それは〈霊〉です。すなわち、肉体の誕生・生存・死亡という『顕』には、この〈霊〉という『幽』が一貫して深く関係しているということです。この〈霊〉が与えられることによって生まれ、この〈霊〉が働くことによって生き、この〈霊〉が去ることによって人間は死ぬ。――これが、私の説く神理教の教理です」
 経彦が言い終わって、人々の顔を見回すと、学生らしき若者が、
「先生、なんとなくわかるんですけど、いまひとつ理解が及ばないのですが」
 と率直に言いました。
 経彦はうなずくと、お供の鎮弥に命じて、行李から『神理図』を持ってこさせ、みんなの前に広げて、天地開闢から、皇国の皇国たる由縁、そして先祖と子孫との関係において、善因善果、悪因悪果の理を噛んで含めるようにして説くのでした。
 そんな我が教長の姿を見ながら、鎮弥は、一派を興し、説くということは命がけであることをしみじみと悟り、
(この命、教長のためなら……)
 と決意を新たにするのでした。