平成15年1月(2003−1)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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明治の幕開け

 幕府の第二次長州征討にあたって、西郷隆盛(薩摩藩)・木戸孝允(長州藩)による薩長連合は、ついに「尊皇倒幕」を目標に揚げました。二百五十年という、世界に類がないほど長期にわたる支配を誇ってきた徳川幕府から、武力で政権を取りかえそうというのです。
 それはクーデターでした。
 慶応三年十月十四日、朝廷より倒幕の密勅が下りました。
「幕府を倒せ」
 と、〈天の声〉が全国に向けて発せられたのです。
 家茂の後を継いで将軍となった慶喜の出方が注目されましたが、幕府はすでに立ち直れないほどひん死の状態でした。密勅が下ったこの日、土佐藩主山内豊信の家来である後藤象二郎の意見によって、慶喜は大政奉還の奏文を朝廷に呈出し、朝廷はこれを受理しました。
 大政奉還というのは、いまで言えば内閣総辞職のようなものです。これによって権勢を誇ってきた江戸幕府は滅亡します。建久三年(一一九二年)、源頼朝が征夷大将軍となって以来、七百年の長きにわたった武家政治の終わりでした。
 それから二ヵ月がたった十二月九日、朝廷は「王政復古」――つまり、朝廷による統治を天下に宣言したのです。いわば、日本古来の政治体制に戻ったわけで、天皇家こそ日本民族の始祖にして、これを原点とする神道家の経彦が、
「活躍の時来たれり」
 と狂喜したのは当然だったでしょう。
 年号は「明治」と改まり、新政府は五ヵ条の誓文を発して、天皇を中心とする新しい政治の基本方針が発布されました。五ヵ条の誓文というのは、天皇が神に誓約する形式として、公論の尊重・人心の統一・旧弊打破・開国和親などを表明したものです。
〈知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ〉
 つまり、西洋文明を日本に移し入れることによる、文明開化政策の宣言でした。
 その後、数年の間に版籍奉還、廃藩置県、徴兵制度の制定、地租改正など次々に改革を実施して中央集権体制を確立します。さらに欧米諸国から機械や技術を導入したり、殖産興業政策を推進したりするなど、資本主義が発達する基礎を築いていくのでした。

第二章

明治の世

 維新の世の中は、西洋へ西洋へと草木もなびきました。
〈散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする〉        と、人々が文明開化に浮かれる風潮を、ちょんまげを切った散切り頭髪にたとえてからかった有名な一節は、当時の『新聞雑誌』に掲載されたものですが、新政府の文明開化政策によって西洋文明のすべてが模範とされました。
 この、すべて――というところに注目しなければなりません。
 例えば、日本人は不殺生(生き物を殺さないこと)という仏教思想によって獣肉を嫌って避けてきましたが、これさえも、〈士農工商老若男女賢愚貧福、おしなべて牛鍋食わねば開化不進奴〉(『牛肉安愚楽鍋』明治四年刊)。
 何人といえども、古い因習にとらわれ、牛肉を食べないのは、文明開化を邪魔する不届き者である、として非難されています。
 このほか、婦人の地位の低さを象徴する日本髷への挑戦として婦人束髪会(束髪とは、髪を束ねて結ぶこと)が結成されたり、結婚とともに歯を染める習慣がすたれ始めたり、石鹸の使用が広まったり、舶来の時計が流行したりと、西洋の事物すべてが封建的な諸制限からの開放、生活向上の指針とされました。
 封建時代の反動とはいえ、こうした社会風潮を、文明開化の旗振り役とも言える福沢諭吉でさえ、
〈西洋流の衣食住を以て文明の徴候と為すべきや〉(『文明論之概略』一八七五年刊)
 と反省をうながしているところからも、その加熱ぶりがうかがえます。
 さらに、
 ――西洋こそ善
 とする維新の思想は、教育方針にまで及びました。
 一国の根本(中心となる大事な部分)は教育にあって、教育こそ社会的価値観を形成していく上で最も重要なものとなるのですが、文部卿の大木喬任は、師範教育担当の御傭教師であるスコットに対して、
「日本の国情は顧慮せず、米国どおりにやっていただきたい」
と要望しています。
 これによって日本の教育方針は、英米流の主知主義、功利主義となっていくのです。
 ちなみに主知主義とは、
「知性・思惟・理論など知的なものを中心とする価値観」
 功利主義とは、
「幸福と利益を価値の標準として、その獲得を人生の主たる目的とする倫理思想」
のことです。
 極端なことを言うなら、日本古来の「侘、寂」といったあいまいな情緒性を排除し、ものごとの尺度をすべて「知」という西洋合理主義に求めたということになるでしょうか。
 先の太平洋戦争に敗れた日本は、すべてアメリカを「善」として受け入れ、マネをし、目標としましたが、「文明開化」は、そのスケールの大きなものと思えばいいでしょう。
 そして、こうした西欧一辺倒の社会風潮にあって、「文明国」の宗教であるキリスト教が広まっていくのは自然の流れであったと言えます。キリスト教の持つ西洋の匂いに人々はあこがれたのです。今日、ミッション系のスクールに人気が集まるのと共通した意識と思えばわかりやすいでしょうか。