平成14年5月(2002−5)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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  「私は医者ではありません。私が医道の施しに手を染めたのは……」
 ひと呼吸おいて、経彦は勢いよく語りはじめました。
「祖神さまのご指示だからです。私には、父の遺訓にそって、神道をおこし民を救済するという使命があります。民を救う道には二つあります。下根――すなわち愚かな人間に神の存在を説くには、まず神の力をもってして病気を治してやることです。なぜなら、教養の乏しい人は、自分の身体が神より授かったものであることを知らないため、粗末にして病を自ら招いている人が多いからです。病を神の力で治すことによって、神の存在に気づかせるのです。
 一方、上根――すなわち、すぐれた性質を持っている人は、道を説くだけですべてを理解できるため、治療によって神の存在を示す必要はありません。
 祖神さまが私に医道を指示されたのは、人間のもっとも忌み恐れる病そのものの成り立ちや、不幸にして患っている人々を実際に治癒させることによって、万民救済の参考とさせるためなのです」
 経彦は息をついで、
「私はただ、世を救い人を救おうとしているだけです。それを罪だと言うなら、どうぞ罰してください。私は神の命に従うまでです」
 とまで言い切りました。
 しかし、それでも町奉行は簡単には納得しませんでした。疑うのが商売と言ってしまえばそれまでですが、むしろこの場合は、「医者」と「神職」との力関係――すなわち訴え出た側と、訴えられた側の社会的地位の差を示していると言っていいでしょう。
 堂々めぐりの、しかし厳しい取り調べが一週間ほど続いた午後、奉行所を一人の医者が訪れました。
 小倉藩の典医、原養碩でした。
「これは原先生。徳力村の佐野経彦のことで、なにやらお話があるようにお聞きしておりますが」
 と、大家じきじきのお出ましに、町奉行は何ごとかと疑わしく思いました。
「実はそれがし、佐野経彦の施術をかねてより見聞きしますに、その治癒力(病気やけがを治す力)は素晴らしく、普通の医術の及ぶところではないことを、差し出がましいようですが、ひとこと申し添えにまいった次第です」
 と、典医が述べたものですから、町奉行の驚きは大変なものでした。
「魔法、ではないのですか?」
「ハッハッハ」
 と笑って、
「失礼。彼の場合は、神――すなわち心と病気の関係を念頭に置いて施薬する医術、ということになりましょうか。魔法など、とんでもないこと」
 と、原典医は言いました。
 実は原典医は経彦の父経勝とは親交があり、佐野家の内情についてはよく承知していたのですが、小倉藩医学界の重鎮(重要な地位を占める人)という立場上、経彦を訴えた医者たちに不利な証言はしにくかったのです。それに、事件というにはほど遠く、すぐに放免になる(解き放たれて自由になる)という読みもありました。
 ところが、取り調べが一週間に及ぶにいたって、このまま放っておけなくなったというのが、証言に名乗り出た経緯でした。
「つまり」
 と、町奉行は自分に言い聞かせるように、言葉を続けました。
「魔法ではなく、祈祷と施薬をあわせ行っているということですな」
「いかにも。それも第一級の腕前です。むしろ、医者としての資格を持っていないことのほうが問題でございましょう」
 典医にして大家の原の進言(目上の人に意見を申し述べること)とあっては、無罪放免はもちろん、経彦は医者として治療に当たることが奉行所より正式に許されたのでした。
 災い転じて福――ということでしょうか。
「魔術」のぬれぎぬを着せられたこのときの経験から、経彦は、自らの医術に名前をつけることを思い立ち、
「皇国医道」
 と名乗りました。
 すなわち、中国あるいは朝鮮の医学が日本に入ってくる以前の、わが国固有の医道を再興しようとするものでした。
 奉行所のお墨付きを得て、経彦の名声は、「皇国医道」の名とともに北九州一円に広がっていくのでした。

焦 燥

 朝から夕方まで、自宅で診察に当たり、夕飯をあわただしくかきこんでから往診に出かけ、明け方近くに帰ってうとうとする。これが経彦の日課でした。
「身体をこわしますよ」
 と、佐陀子が折にふれて注意するのですが、
「大丈夫です」
 と、経彦は笑って答えました。
 晴れた日も、雨の日も、酷暑の夏も厳寒の真冬も、経彦は往診を休みませんでした。どんな山奥のへき地であれ、そこに病に苦しむ人間がいる以上、経彦は必ず出かけて行きました。
 どうしてそうまでするのかと村人に尋ねられた経彦は、
「決めたことですから」
 と笑い流しましたが、本心は、奉行所で熱く語ったように、病気治療を通し、「下根」の人間に神道の教えを広め、幸せに導くことにありました。
 だから、命がけでした。