平成14年4月(2002−4)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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  下田爺さんの偏頭痛の原因は先祖にありました。経彦が問答を続けていくうちに、下田爺さんは幼いときに小林家に養子にもらわれたこと、生家は病気で跡継ぎが絶えていること、いまは生家の先祖を供養する者がいないこと、などが分かりました。経彦のアドバイスに従って、先祖供養をした下田爺さんの偏頭痛は、すっかり回復したのでした。
 あるいは安政三年の冬、企救郡上堀越村と下堀越村に疫病が流行したときは、経彦が一心に天在諸神に祈り、神の水を使って薬を煎じ、治療したという記録が残っています。村人はすべて浄土宗と真宗でしたが、奇跡を目の当たりにして神道に改宗します。いえ、日本民族本来の宗教に戻った、と言うべきかもしれません。経彦が神理教を興して後、布教をめぐって仏教と反目(にらみあうこと)が生じますが、これについてはあとで触れることになります。
 ともあれ、経彦にかかれば、どんな病気もたちどころに治ってしまいます。それが神さまの力であれ何であれ、病人にすれば治ることが重要なのです。
 いつしか経彦は、
 ――神医
 と呼ばれるようになっていきます。
 もともと金もうけでやっているわけではなく、訪れる患者が多いのも当然だったでしょう。
 しかし、近在の医者たちにしてみれば、経彦は眼の上のこぶです。「神医」の評判に頭を抱えました。営業上の問題もさることながら、自分たちをさしおいて、この盛況ぶりは、医者としてのプライドが許しませんでした。
 彼らは経彦の失脚(失敗して地位を失うこと)を企てました。
逮 捕 
 出る杭は打たれるのが世のならいとすれば、経彦が近在の医者から嫉妬され、足を引っ張られるのはやむを得ないでしょう。叩かれて引っ込むか、それでもなお優れた才能が他より目立って「出すぎた杭」になるか。杭も出すぎれば、もはや打たれることはありません。
 しかし経彦にしてみれば、医者で身を立てる気はもとよりなかったため、自分が「出る杭」の立場であることに気づきませんでした。そのため無防備でした。
 事件は、初霜が徳力の村を白く覆った早朝に起こりました。同心が部下を引き連れて、経彦の自宅に踏み込んできたのです。
「なんですか!」
 と叫ぶ経彦に、土足のまま部屋に上がりこんできた同心は、
「申し開きは奉行所で聞こう!」 と言うなり、母の目の前で経彦を後ろ手に縛りあげました。
「母上、なにかの間違いです。すぐに帰ってきますから」
 おろおろする母に、経彦はつとめて冷静に告げました。
「ええいッ! しゃべるなと申すに!」
 同心が十手で経彦の背中を叩きました。
「うっ」
「経彦!」
 すがろうとする佐陀子を同心が足蹴にして、
「引ったてろ!」
 と怒鳴りました。
「母上!」
「黙らんか!」
 再び十手が振りおろされました。
 騒ぎを聞きつけて飛び出してきた村人たちの前を経彦はこずかれ、引き立てられて行ったのです。
 奉行所での取り調べは、この日の午後から始まりました。後ろ手に縛られた経彦と、畳の間に座った町奉行とが向かい合って座りました。経彦の背後に同心が控えています。
「そちの名は?」
「佐野経彦、徳力村です」
「ウム。そちの父は、村長までつとめた人物と聞くに……」
「お奉行、なぜ私は捕らえられたのでしょう」
 経彦は胸をそらせ、遮るようにして、思いきって言い放ちました。
 我において一点のやましきことはなし、の自信です。
「ならば言って聞かせるが、そちは魔法を使うそうではないか」
「魔法?」
 経彦は、オウム返しです。
「さよう。そちは魔法を用いて、病に苦しむ民百姓をたぶらかし、金品をせしめておると聞く」
「そんなことが……」
「ないと申すか?」
「はい」
「しらばくれるのもいい加減にせよ! 医者どもが連署で訴え出ておるわ」
 このとき経彦は一切の事情を理解しました。
「どうやら合点がいったとみえる」
「いえ、誤解です」
「まだ言うか。ならば聞くが、そちは医者か?」
 資格はあるのか、と追及しているのです。