平成14年3月(2002−3)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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   しかし、ここにきて、経彦はようやく ”あること“に気がつき始めていました。
 それは、
「名医・名薬で治らないなら、自ら医道を勉強し、それをもって母親を救うべし」
 という祖神の教えでした。
「指示しなくとも、意志をくみ取り、実践せよ」
 という祖神の本当の心に気がついた経彦は、眼からうろこが落ちる思いで猛然と勉強を始めたのでした。
 小倉城下、近在の医師、学者をたずね、書物を借り、夜を徹して読み通し、ついには『神遺方』『大同類聚方』といった難解な古い医書までも詳しく理解していきました。『神遺方』というのは三巻からなり、十一世紀に丹羽雅忠が撰(著述・編纂)したものです。『大同類聚方』はもっと古く、大同三年(八〇八年)、出雲広貞、安部真直が天子の命令を受けて撰したもので、全百巻からなります。これらをことごとく読み通し、深く理解したというのですから、小倉藩の医者たちが腰を抜かしたというエピソードも、まんざら大げさではないでしょう。
 一念というのか、このことは、なによりも神意を具体的な形に現わそうとする執念のすさまじさを物語っていました。
 経彦は自ら薬を調合し、母に与えました。病気は日を追って回復に向かいました。お粥が普通のごはんに、そしておかわりまでするようになり、さらに一ヶ月もたつと、
「別府の湯にでも出かけましょうかね」
 と言い出して、次郎吉夫婦を驚かせています。
 評判を聞きつけ、人々が近在から薬を求めてやってくるようになりました。

神医の評判

 経彦の治療の特徴は、薬を調合して与えるだけでなく、「神」という概念を中心に置いたことです。
 つまり、饒速日命七十七代として、民を救うべく治療に当たったのです。
 例えば、徳力村の百姓である源兵衛が訪ねてきたときのことです。
「どうしました?」
 経彦が柔和な顔で問診を始めます。
「それが先生、ときどき腹がキリキリ痛くなって……」
 源兵衛が顔をしかめて答えます。
「いつごろからですか」
「それが、もう一年ばかしになるんで。小倉の医者にも診てもらいましたが、それも一時の押さえでして」
「そこへ横になって」
 と指示して、経彦は源兵衛の腹に手を当て、しばらく触診していましたが、やがてこう質問しました。
「源兵衛さん、本来、正常であるべき腹がなぜ痛くなると思いますか?」
「さあ、そんなことあっしに言われても」
 それを見つけるのがあんたの役目だろう、と、その顔に書いてありました。
「病はヤムヒ――すなわち、〈止む霊〉で神の気が止んでいる。腹に神の気が通っていないんです。――源兵衛さんは短気でしょう?」
「エッヘッヘ、面目ねぇ」
「その短気が、神の気を止んでいるのです。怒りは、神の心ではありません。神の心でないところに、神の気は通いません。薬も効きません。腹を立てないように気をつけ、この薬を呑めば、痛まなくなります」
 源兵衛はそれを忠実に実行したことで、持病の腹痛はピタリとおさまりました。腹痛から解放されただけでなく、性格が温厚になって、笑い声の絶えない家庭になったといいます。
 あるいは蒲生村から来た下田爺さんです。爺さんは、ここ半年ほど偏頭痛に悩まされ、それが最近ではますますひどくなってきました。このままぼけてしまうのではないかと、本人も息子夫婦も恐れ、それで評判を頼りに経彦を訪ねてきたのでした。
 ひととおり診察してから、経彦は言いました。
「頭は、霊在所と言って、霊魂の宿るところです。そして、その霊魂は、そのまま先祖の霊魂につながっています。わかりますか?」
「へえ、先祖さまですね」
「そうです。そして、先祖の四魂が鎮まり、安定していないと、下田さんの四魂も安定しないため、霊魂の所在である頭の具合が悪くなるというわけです」
 やや理屈っぽくなりますが、神道を理解する上で必要と思われるので、経彦の説く
「病と魂」について説明しておきましょう。
 経彦の主張する四魂とは、〈幸魂〉〈和魂〉〈奇魂〉〈荒魂〉のことで、人間はこの四つの魂からなっているとし、人は死ぬと、〈幸魂〉は神に副い、〈和魂〉は産須根大神のもとに、〈奇魂〉は先祖の中にあって霊殿に、〈荒魂〉は肉体に副って墓所へ鎮まると説きます。
 この四魂は、神を象徴する〈幸魂〉を中心にして成長するのが正しいあり方ですが、日々の行いに和〈和魂〉を欠き、奇行〈奇魂〉を重ね、粗暴〈荒魂〉のふるまいを犯すことによって、次第に中心である〈幸魂〉の神聖を汚し、四魂の調和が乱れてきます。そして、この四魂の状態が肉体にもそのまま現れてくる――というわけです。
 つまり病気は、四魂のうちのどれかが正しい活動をやめ、他の魂との調和を乱すことによる、ということになります。