平成13年12月(2001−12)

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  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
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 新たな旅立ち
 父である以上に師でもあった経勝の死は、覚悟はしていたものの、経彦にとって予想以上のショックでした。
 食事ものどを通りませんでした。
 寝ころがり、ぼんやり天井を眺めていると、七歳の夏、蒲生神社にお詣りに行った帰り、紫川に流されたときのことが、なつかしく思い出されました。河原に立つ自分に駆け寄って抱きしめ、泣いて喜んでくれた父親の顔……。山の中で蓬をつみながら、「麻の中に生える蓬はまっすぐ育つ」と荀子の教えを話してくれた父親のやさしい顔……。振り返ってみれば、一度も父親に叱られた経験がないことに、経彦は改めて気づくのでした。
「我が神国も、やがて時の来ること遠からず。汝、よろしく心せよ……か」
 経彦は、遺言のくだりを声に出してつぶやきました。
「経彦、嘆いている場合ではないのだ」
 父の叱る声が聞こえたような気がしました。
(そうだ、父上はこの世でいろんな善行をつくし、また親としてこのうえない教養を私に授け、心おきなく笑ってお隠れになったのではないか。その肉体は滅んでも、心は私のからだのなかで生きつづけておられる。我が身は父の御身であり、父の古株より生えた新芽なのだ。悲しむことはないではないか……)
 そう思うと、不思議なもので、腹の底からムラムラと笑いがこみ上げてきました。
「そう、父上は私のからだの中で生きつづけているのだ」
 そう声に出して言って、経彦は大笑いしました。
 しかし、霊殿の前では、母の佐陀子が夫の霊璽をじっと見つめていました。二十も年齢が離れており、いずれ夫が先立つだろうことは覚悟していたつもりでしたが、いざそのときを迎えてみると、耐えがたい絶望感に襲われるのでした。
 将来がある経彦は、自分の気持ちに踏ん切りをつけることができましたが、それを還暦を迎えた佐陀子に期待するのは無理でした。そんな母の気持ちに気づくには、経彦は二十一歳とまだ若かったのです。これからの責任の重さを考えれば、自分のことだけで精一杯で、とても母を思いやるゆとりはありませんでした。
 佐陀子は心痛に次第に蝕まれていくのですが、経彦を責めることはできないでしょう。
 これまで西田直養の指導のもとで、主に学問を座って学ぶことが中心でしたが、翌安政二年、経彦は直養について長崎へ出かけています。海外の様子を自分の眼で確かめようとする、いわばフィールドワーク(実地調査)ともいうべきもので、医学、外国情報、さらに勤王の志士との交流、意見を交換するなど、経彦はしだいに実践的な活動へと移っていくのでした。
 経彦が長崎から帰ってしばらくたった晩秋のことです。その夜、経彦は師匠の西田直養を訪ねました。
「先生、これより諸国をめぐってみたいのですが」
「行くか」
「はい」
「教えるべきことは、この五年間ですべて教えた。これからは碩学(学問が広く深いこと)の大家と交わり、大いに論議し、日本の行く末をしっかりと見定めてもらいたい。日本にとって開国の論議は……」
「論議は?」
「経済で考えるべきものでもなければ、欧米列強の支配を恐れるものでもない。開国によって恐れるべきはただ一つ。外教(外国の宗教)と西欧思想が入ってくることによって、神道が追い払われてしまうことだ。神道が否定されて、日本民族はありえない」
 日本民族の成り立ちを証明するものこそ、神道に他ならない。神道と万世一系(永久に一つの血統であること)の天皇家とは密接で切り離せない関係にあります。開国問題は欧米列強にとっては経済問題ですが、日本にとっては民族の存在を根幹からゆるがす一大事でした。「開国」という言葉の響きは、なにやら未来に向けた新しい予感をくすぐりますが、その下にかくされた本質に気づく者はあまりいませんでした。
 経彦は遊学のために、徳力村を出発しました。
 碩学大家を求めて豊後、豊前、さらに関門海峡を渡って山陽道、山陰道を巡り、吉田松陰を筆頭に高杉晋作、平野国臣、野村望東尼、真木保臣らと親交を結びました。彼らとは膝を突き合わせ、夜を徹して意見を交換したはずですが、このときの論議の内容ははっきりしていません。
 ただ当時、経彦が詠んだ歌に心情のすべてがうかがえます。
〈大君の御盾とならむそれまでと思へば惜しき命なりける〉
 熱烈なる愛国者ーーそれが経彦の生涯を通じて一貫した立場でした。 

母の衰弱
 癪病が春先からぶり返し、佐陀子を苦しめるようになりました。
 見かねた次郎吉が、医者を呼んで診せたところ、
「気からくる病ですな。家にひきこもってばかりいないで、別府の湯にでも行かれるがよろしい。外の空気がなによりの良薬です」
 と言いました。
 最愛の夫に先立たれ、ひとり息子の経彦は諸国を修行のため巡り歩いていてほとんど家にいません。
 寂しいのです。
 世間に未亡人はいくらもいることだし、経彦はこれから世に立つ人間として修行しているのだということは、よくわかっています。わかってはいますが、寂しい思いはどうすることもできませんでした。
「奥さん、どうです。医者の言うとおり、別府の地獄めぐりでもして、お湯につかってきちゃ。うちのお政をお供につけますから」
 と次郎吉がすすめましたが、佐陀子は力なく首を左右に振るばかりでした。