平成13年11月(2001−11)

************************
  「世のため、人のため」
    経  彦 さ ま 伝  
************************


 末席に座った経彦は、居並ぶ大家を前にして全く気おくれすることもなく、初めに『山陽』の文を取り、次に『蘇軾』の詩をうたいあげました。少年であるにもかかわらず、佐野経彦の名前が『豊前奇人伝』にのせられたことからみても、大家たちが経彦の才能をいかに高く評価していたかが伺えます。
 現存する西田直養の門人帳に〈佐野経彦〉の名前が記されていますが、その上の欄に、
〈徳力の人なり。ものになる人なり〉
 と注釈が書いてあります。
 さすがに西田翁の人を見抜く目は確かでした。
 句会から一月後の二月十六日、経彦は数えで二十歳を迎えました。ペリー提督が四隻の艦隊を率いて品川沖にやってくるのは、この年、嘉永六年(一八五三年)七月十二日のことで、江戸は大騒ぎとなります。江戸幕府は開国の要求を前に、もはや風前の灯火でした。
 年が明けて年号は「安政」へと変わり、安政元年に当たるこの年、経彦は家伝の書をもとに『天津皇産霊考』を書き下ろしています。これが初めての著作とされています。数えで二十一歳でした。
 この年、日米和親条約が締結されました。

父親の昇天

 父の経勝が、枕元に経彦を呼んで、
「日を選んで、近所の村人を集めてくれんか」
 と言い出しました。
「承知しました。それで、いかがいたしましょう」
 と経彦がきくと、
「そうさな、おいしい夕食をふるまってもらいたい」
「いよいよ、でございますか」
「ああ、いよいよじゃ」
 父親は静かに笑って目を閉じました。
 八十二歳。
 寿命を、だれよりも本人がさとっていました。
 すでに遺言は、前年の元気なうちに認めてあります。家伝書の『五十言伝』も経彦に伝え、経彦はそれをもとに初の著作『天津皇産霊考』を書き上げています。親の思った以上にわが子は成長してくれました。あとは自力で事をなすに違いありません。経彦は天地之祖神さまから授かった子供なのです。経勝は、なんとか責任だけは果たせた……という心地よい安堵の気持ちに身をゆだねるのでした。
 近所の村人十五、六人が招かれたのは、それから一週間後の大安の日のことでした。お膳に盛られた海の幸、山の幸に村人たちは眼をむいて驚きました。
「こ、こんなご馳走を……。先生、いいんですか?」
「ああ、今宵はひとつ無礼講ということにして、心ゆくまで呑んでくれんか」
 床の間を背に、わが子と妻に両脇を支えられながら経勝が上機嫌で挨拶しました。
「じゃ、みんな、遠慮なくいただこうじゃないか!」
 大きな体をゆすって、林太郎が盃をかかげました。
「いただきます」
 みんな口々に礼を言って、酒宴が始まりました。
 一升ビンが回され、呑むにつれ酔うにつれて、歌や踊りが飛び出しました。貧しく、そして娯楽のない時代のおよばれは、村人たちにとって最高の楽しみでした。
 経勝は、その様子を眺めながら眼を細めていました。
(もうすぐ天に召される。なんの思い残すことがあろうぞ……)
 このときの経勝の心中を知っているのは、佐陀子に経彦、そして次郎吉の三人だったでしょう。
 次郎吉は眼に涙をため、手酌で黙々と呑んでいました。「あれれ? 次郎吉さん、どうしたね。いつから泣き上戸になったね?」
 酔ってからむ林太郎に、次郎吉は肩をふるわせるばかりでした。
 それから三日後の昼前、臨終を悟った経勝は、親族を集め、別れを告げました。
 眠るような最期でした。

 遺訓は次のようなものでした。 
 難解ですが、原文を紹介しておきましょう。
〈『鹿を追う者は兎をかえりみず、千金の貨を決する者は銖両の貨を争わず』と言えり。汝、よく大志を抱きて小量の心を持つべからず。また、友の交の事につきては、唐書を引きて、玄宗は長枕・大衾を用いて諸王と同衾せりという故事にならへ。
 また著述については、荀子を引いて郢書燕説として道ならぬ事を戒め、また決心断行につきては史記の李斯伝を約して、省を顧みて大を忘るれば後必ず害あり。弧疑猶予すれば後必ず悔いあり。断じて行えば鬼神も之を避け、後成功あり。
 また、足る事を知れとて、荘子尚遥編を引きて、小鳥が森林に巣くうも一枝に過ぎず、鼠が河に水飲むも腹一杯に過ぎずと。こんなことは支那人さえ言えり。たとえ馬鹿者と笑うても顧みるべからず。殊に我が家は神道を興して皇国のため大いに尽くすべき家なり。我が神国も、やがて時の来る事、遠からず。汝。よろしく心せよ〉
 要するに、
「我が家系は、神道再興という本分こそ大事であって、日々の些細なできごとに心を奪われてはならない。そして人間のつき合いは、腹を割って初めて心が通じるものだ。布教行脚において、それを忘れるな。反省のないところに進歩も成功もないが、いざ事を起こすときは、躊躇せず、全身全霊を打ち込んで当たれば成功するものだ。決して、欲を欠いてはならない」
 といったことを戒めているわけですが、経彦は、最後のくだりを何度も読み返しました。
〈我が家は神道を興して皇国のため大いにつくすべき家なり。我が神国も、やがて時の来ること遠からず。汝、よろしく心せよ〉
「時の来ること遠からず……」
 と、経彦はつぶやくのでした。