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                                                          2008−2

平成20年2月号 第1128号

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

                                        
本教の悟り・霊格を高める
悟り
 本教の教えはパソコンでも見ることが出来ますが、この度ホームページを刷新するにあたりその紹介文(教義の入り口)を以下に先行公開します。
【「神理教に於いての悟りは何ですか?」と聞かれることがあります。
 難行苦行をしなくても自覚さえあれば、神理教の教信徒はいきなり悟りが開けている、といって過言ではありません。神理教の教えは、奥も深いけれど入り口も広いのです。
 難行苦行をしなくても、御神徳は直ぐ目の前にドウドウと音を立てるように流れ出ており、私たちはその神祖の厚意に気づかないだけなのです。
 どうした方法で戴くかに気付くこと、が悟りの一つです。
 難行苦行をする人や教団にお金を払い物を捧げれば御利益がある、との勘違いしている人が世の中には多いようです。宗教への誤解や勘違いは、この辺りに大きな原因があるようです。
 神道の悟り(御神徳の戴き方)へのキーワードは『祓い』です。
 お賽銭をあげたりお供え物をしたりするのは、参加費やご利益への御礼ではなく、自分自身の『祓い』であることに気付いている人は少ないようです。鈴を鳴らすのも音の祓いで、呼び鈴ではありません。
 悪い思いや行いをしないだけではなく、敬神尊祖の心を持ちながらまず自分の『祓い』を心掛ければ、悟りはそこにあるのです。
 御神徳は神前や御先祖の霊前から尽きることもなく大量に流れ出ているのに、それを受けることが出来ないのは罪穢れの『祓い』をしていないからです。

 修行は難行苦行の場にあるのではなく、毎日の生活の場にあります。あるいは厳しい日常の生活の中でも、悪い思いや行いをせず同時に自分と祖先の罪穢れを祓うことで、たちどころに安心・繁栄という御神徳を戴けることに気付くのが悟りなのです。
『祓い』の方法は幾つもある中で、一番短い言霊は『我が心清々し』です。
「自分の心は清々しいのだ」と誇るのではなく、言葉の神霊の力で自分と周囲の人の心を祓い清めて戴くのです。まずは『我が心清々し』を、時間がある時に何度も唱えることをお試し下さい。必ず悟りと神徳を戴く条件である『祓い』が出来、人間が本来受けるべき幸せが自然に訪れることでしょう。】

品格
 先日新聞付録のPR冊子のエッセイ(随筆)に、ふと目が行きました。
*随筆=見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。
『国家の品格』や『女性の品格』がベストセラーになり世は品格流行りらしい、とありました。
 風水師の方の文でしたが、人間に備わっている格には、性格・人格・品格、そして霊格があるとのことです。
*風水=山川・水流などの様子を考え合わせて住宅・墓地等の位置や方向等を定める術。
筆者は風水を勉強していませんが、本教で言えば『地相・家相・墓相』にあたるようです。
考え方に共通の部分もあるようで、この部分には共感を覚えます。

霊格
 性格の好い人は人から好かれ、人格者は人から信頼され、品格がある人は尊敬されるとあります。
 以前神理未来委員会で横江春太郎先生が人間の“風度”についてお話しされたことがありましたが、これとも共通した物を感じます。
“風度がある人”とは、別に物やお金をくれるわけでもないのに、一緒にいると得をしたような気になる人ということでした。
 それをこうして性格・人格・品格に別けて説明すると、より分かり易く感じます。
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 さらに“霊格”については、人を分け隔て無く愛することが出来、同時に自分をも愛することが出来る人とありました。またこの霊格の高い人の所に、人格者や品格のある人が集まってくるとのことです。
 その通りだと思います。教会においても教会長の、目に見える“霊能”又は目には見えない“霊格”のどちらか一つでもある所に自然と人は集まって来るようです。

人が生かされる目的
 このエッセイには、人間が生かされる目的とは
・霊格を高めること。とし、『人生はその修行の場である』とありました。
 本教の解説書やホームページでは、人間が生かされる目的を、
・この世を神の世とする。(人本来の幸せを得る)
・世に役立つ喜びを得る。とし、『その為の自分と家族と社会と御先祖の霊魂の安定』をあげています。
霊格・霊魂について、又人生を修行の場とするという、この辺りまで共通点があるようです。

霊格を高める糸口
ではどうやって霊格を高めるかについて、このエッセイには紙面の都合もあってか記されていませんでした。“人を分け隔て無く愛する”とありましたが、その根拠を見つけ得ないままむやみに人を愛することは出来ません。
人を愛さなければならないから愛すのではなく、それは人として心の底から湧きあがる自然な情動・行為であるべきです。推測するに、風水の理論での色合いや家具の配置や水晶などを置くことで高まる、ということなのかもしれません。
本教において霊格を高めるとは霊魂の安定をはかることであり、悟りやその方法である祓いを基本の一つにしながらも、もう少し踏み込んだものとなります。風水を手法とするならば、本教には先に上げた『地相・家相・墓相』又『色霊・音霊』等がありますが、それに加えて“教え”があるのです。

霊能と霊格
“霊能”は、日本人にも弥生時代までは皆あったと聞いています。

 平安時代になると、神官と極少数に限られ、現在は一万人に一人とか言われます。
 自然と共に暮らしたアイヌ民族やネイティブインディアン(アメリカ原住民)は近年までこの能力がある人が多く、動植物の位置や天候や過去や未来が見え、御先祖と感応したそうです。
 現代でもこの能力を子孫に伝える人の話を聞いたこともありますが、大概はそうはならずなっても親の能力の一部の場合が多いようです。
“霊格”は、霊能に比べ本人が高めようとすれば高めることが出来るものです。
 宗教団体や教会だけでなく、家庭や会社や社会奉仕団体においてもこれを高めることによって継続や繁栄に、目には見えずとも大きな力となることを知るべきです。賞味期限の偽装など権道(正道でない)を通らなくとも、霊格を高めることで人格・品格また能力のある人が集まり栄えて行くものです。

霊格を高める方法
 まず本教では最初にお話ししたように、順番として “祓い”を行います。その方法は祭官が行う場合もあり、自分で行う場合もあります。お正月の初詣や厄払い・春秋の大祭や月次祭や祖霊祭などは前者で、自分で『我が心清々し』を唱えるなどは後者です。祭官と一緒に唱えることもあります。
 次に祓われて御神徳が戴ける状態になったからには、一層御神徳を導き戴く唱え詞を奏上します。
 唱え詞は多数ある中で、大元の神の名を唱える『天在諸神守り給へ幸ひ給へ』・御先祖の神名を唱える『産須根神守り給へ…』・教祖の神名を唱える『御教えの神守り給へ…』は大切です。
本院・教会・自宅の神殿、また普段でもお唱えするだけでそのお力が戴けます。
それは言葉には“言霊”という魂が籠もっている、という日本人の信仰なのです。祭官も教信徒も、教師と教信徒の違いはあっても同じ“言霊使い≠ナす。その意味ではもう一歩進んで、信徒の祝詞でもある“清祓”や“大祓”をあげることも一つの方法です。
この他にも積極的に御神徳を戴く“長呼吸法”や“四魂論の活用”等ありますが、別の機会とします。
ご一緒に一歩一歩霊格を高めましょう。